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文学談話室

おもにシナリオ脚本を中心に小説・音楽・旅行記など書いています

長編小説 新連載「東京23区 男と女の物語」 (千代田区)

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東京23区男と女の物語
東京にはいろいろな顔があります。その中で23区は実にいろいろな個性を持っています。

その23区は政治・経済・ビジネスの中枢機能中心の千代田区

商業施設が集まるとともに江戸のよさ、伝統を残している中央区

最近まで緑いっぱいで畑も残ってる農業らしさを残している練馬区

中小企業の集まった人情のある下町、また高級住宅がある山の手のたたずまい、二つが同居する大田区

このような東京23区で起きる男と女の物語を書いて行くつもりです。

どうかよろしくお願いいたします。


東京都千代田区、東京の中央に位置する面積わずか11,1kmの人口は約4万2千人であるが、昼間はなんと
2、374倍という途方もない人がここに集中し働いている。

第1区 ひと時の邂逅  (千代田区)

富田慶三郎は丸の内の新世紀商事(株)の経営管理部長だ、ある日、ハケン社員がやってきて
主任の柳内と面接に向かうのだが、二人のうち、富田優美、それは5歳の時に妻と離婚して30年
会いたいと思っていた自分の娘だった、二人は・・・・・・

富田敬三郎は東京駅から歩いて5分の新世紀商(株)の総務部長だ。
従業員5万人を擁する新世紀商事は総合商社であって
55歳にして経営管理部長の席を手に入れた。
60歳が定年と定められているので、会社の要職とはいえ、富田にとってはあと一歩で定年のない役員に昇格するか、それともあと5年で定年、あとは嘱託待遇か関連会社出向か、サラリーマンなら誰もが二つの岐路に立たされるが、自分で決定することの出来ない苛立ちを感じ始めていた。

そのため、自分自身でもこうときどき思うことがある
「昔はもっと覇気に満ちていて正論を吐き、ブルとーざーのようにたくましく猪突まい進していたのだが」、
最近は上司にはただ頭を下げてすべてに迎合するようになっていた。

「おはようございます、ハケンの面接があります、部長もおっしゃっていた通り二人控え室に来ていますのでどうぞよろしく」
新世紀商事でもかってのバブル好景気が去ってしまって国内需要の低迷によって人件費が安く弾力的に運用できるハケン採用の道をとっていた。

「わかった、会おう、パソコンスキルが高いといいんだけど」
「部長、そんなこといっては居られませんよ、だって部長のデスクの上のパソコンほこりかぶっていらっしゃいますよ」
痛いところをついてくる柳内さつきは入社8年の大ベテランなので言うことも厳しい。

部長はさつきを従えて室を出て行き右側の控え室のドアを開けて中へ入った。
向かい側のドアを開けると二人のハケン女性とハケン会社のサブマネージャー村沢が待っていた。

「どうもお持たせしました」
「失礼します」
二人が丁寧に頭を下げる。
「サクセスマネージメントの村沢です。要請に応じて今日、私どもにハケン登録している富田優美さんと小岩井文香さんをお連れしました」

そう紹介があって顔を上げた富田は
「あっ」
と大きな声をあげそうになって驚いた。
その顔は5歳の時に妻と離婚した富田優美の面影があったからである。

富田は向かい側の左側に座っている富田優美、本当は実の娘かも知れない女性に
「パソコンはどの程度おやりですか?」
と聞いた。
サブマネージャーの村沢が
「ちょっと待ってください」
といいながら黒い皮のカバンを開けて
「彼女はパソコンはもちろんのこと、情報管理士1級の資格を持っています」
とさらさらと読み上げる。
富田は5歳の時に妻と離婚して以来ずっと娘に逢えなかったのでこんなことで娘と再会することが信じられなかった。
質問しながら
5歳の時に別れたんだもの、顔ははっきり覚えていないけど、唇の左右に小さなほくろが、笑うと小さなえくぼが、耳が小さいしと心の中で一問一答をしながら
○×をつけていた。
富田は思いあまって
「富田優美さんとはどこかでお会いしたような気がしますが」
といってしまった。
彼女は
「お会いしておりませんが、富田優美という名前はほかにもありますので、失礼しました」
と反論した。


「右側の方は名古屋静子で簿記1級、パソコン1級で御社の重要な戦力になると思います」、
それぞれ自己紹介があったあと、経営管理部に二人を連れてきて冨田は
「おい、聴いてくれ、今日からハケンのお二人をお迎えして、富田優美さんと名古屋静子さんだ、皆わからないことは教えてあげてくれ」
紹介しながら20年以来あうことが出来なかった自分の娘がしかも同じ会社の同じ経営管理部にいる。
なんという巡り会わせだろうか。

富田は、「ちょっと」
と柳内さつきを呼んで通路脇の会議室に入った。
「ど、思う、あの二人」
「部長、私に聞くのですか、ご自分がおきめになることでしょう」
「まあ、そうだけど」
「どうしてもというなら最初からやろうという気持ちがあるハケンを見た目できめてはいけません」
「その通り、柳内さんは頼りになるし同じ女性の目から見て」
「では、もう一つ、富田優美さんですけど、部長のお顔に似てらっしゃって」
「やっぱり、そう思うかね」
「部長、何か」
「いや、何でもないよ、ありがとう」


富田は、目の前に自分の娘がしかもハケンで今日から働いている。20年間いやそれ以上、娘が小学校・中学校・高校・・・そしておそらく大学へ、そんな父がずっと思い続けてきた娘への思い、今ここに実現しているが別れた妻の子で長い間の年月が大きく壁が立ちふさがっていた。

二人はパソコンを使って集計をを行っていた。
気がつくと、12時を指していた。
「富田さんに名古屋さん、一緒に昼食しよう」
「部長、私たち、二人で」
「なあに、今日だけだよ、今日からうんと頑張ってもらわないと」
「ありがとうございます」
「ただ、カレーだけど」
彼の方針だった。ハケン社員が彼のところに配属されると仕事への励ましで必ず一緒に昼食をともにするのをずっと以前から行ってきた。
会社は労働派遣法の改正によって正社員・契約社員・ハケン社員・アルバイト社員に分かれて各々の立場からの違いとかいさかいを調整し、組織と人間関係を円滑にするのが部長の役割になっていた。

20階の社員レストランからは日比谷から皇居、お堀そして大手町遠くは新宿まで望むことが出来る。
二人は、部長の顔を見ながら運ばれてきたカレーに舌づつみを打っていた。

「おいしいですね、このカレー」
「よかった、喜んでもらって」
そんな会話が続いたあとに、右側にいた名古屋静子が
「あの、私ちょっと母に頼まれたことがあって、ごちそうさまになりました」
といって席を立って入り口に歩いていった。

あとには富田と優美が残された。
彼は、ハケンの名古屋が居なくなったので優美に聞いてみたかった。
こういう話は二人きりにならないと出来ない。
「あの、僕はあなたをどこかで、小さい時に見たことがあるのだけど、ほら5歳の時」
富田は優美の顔を見つめながら聞いた。
彼女が自分の父であること、誰も廻りにいなくなった今こそ実は、私は、お父さん、パパと呼んでほしかったのである。
富田は優美の口元を見つめていた。
唇がかすかに動いていたが
「富田部長、あの、私・・・・・・・・」
彼は胸がどきどきしていた。
20年間もはなれていた自分の娘が、
「なに?」
「じ、実は私・・・・・・」
優美はそこから口ごもった。
その先を聞かせてくれ、優美
「大変失礼しました、富田優美は部長とは関係ありません」

「そうか、ごめん、富田優美さん」
彼はそういってカウンターで3人分のカレーを払いエレベーターで7階の経営管理部に戻った。
二人のハケンはなれた手つきで部門別販売。支店別販売などをどんどんエクセルで処理している。
学卒の三人が
「ちょっと、あの子たち早いわね、私たち」
「今に仕事持ってかれちゃうよ」


こうして今日も陽がくれて6時を指すと
「さあ、帰ろう、帰ろう」
「部長、お先に」
どんどんそういって帰っていって部長と主任のさつきと優美が残っていた。
「さつきさん、富田さん今日はこれでいいから」
「そうですか、お先失礼します」
優美が去ったあと、
「部長、あの富田優美さん、娘さんだったらどうするのですか」
「どうするって、僕には25年前のことだし」
「それに、明日も富田さん来るし」

「部長、何を言ってるんですか、優美さんだってうちの会社で突然会って、きっと悩んでるんです、さあ、早く彼女のあとを追いかけてください」
机の上の物品を引き出しに閉まってパソコンスイッチを切って柳内は帰っていった。
富田は、室内の電気を消して暗い廊下を歩きエレベーターに乗って1階ロビーの受付嬢から
「ご苦労さまでした、部長」
の声を受け止めて正面玄関から表に出た。

前方百メートル先には優美がゆっくり歩いていた。
富田はどうしてももう一度聞きたかった。
急いでそのあとを追っかけて走って行くと優美は突然立ち止まった。
「富田さん」
優美はその声に振り返り、
「お父さん、お父さん」
と悲しそうな顔をして二度呼んだ」
「やっぱり、優美、私の子だな?」
「お父さん、私、どれだけお父さんを」、

富田は優美が5歳、まだ物心がつくかつかぬか、そんな時に妻と離婚して以来、今日まで娘のことをいつも想い続けてきた。
でも、たった生まれてから5年間だけ、そんな短い月日のことを娘は覚えていてくれてるだろうか
「どうだ、食事でもしよう、ご馳走してあげるから」
父と娘、優美は黙って左右の暗いビル群を後にしながら東京駅丸の内口に向かって歩いた。

丸の内ホテルに入り2階のレストランに向かう赤いじゅうたんの敷いてある階段を登った。
入り口でウエイターに二人で静かな部屋で話したいことを伝えて、奥の別室に案内された。

赤いレザーの椅子に二人は向かい合って座った。
「お食事はなにに」
メニューを置いていった。
「お、お父さん、会えて優美うれしいです」
「優美、私もだよ」
5歳の分かれた時には優美はまだ幼稚園生でピンクのワンピースに白い首の周りのレースのお人形のような子だった。

その優美が今、大きくなって目の前に居るのだ。
彫りの深い顔に高い鼻、大きな澄んだ瞳、二つの小さなほくろ、何よりも優しい微笑み、落ち着いた花模様のカットソウ、その上にベージュの短めの上衣に黒い長いパンツ姿、若いときの恋人に出会ったような一種のときめきさえ感じていた。

「どうだ、お母さんは元気か」
「ええ、元気よ」
「今、何をしてるんだ」
「ああ、ママは、お父さんと別れてから苦労して今は絵を生かしてイラスト書いて、賞をもらってから千代田区の広報のイラストも書いてんの」

「優美はいつ資格取ったのか」
「ああ、資格、学卒でも片親のせいか最後の面接で断られて、このままではと思い、やっと情報管理士の資格とって、その第一号がお父さんの職場っていうわけ」
「そうだったのか、学校も千代田区、それに小さいけどマンションに住んで、二人で千代田区のお世話になってるっていうか、税金も千代田区に払ってるしね」
娘は明るい声で彼に話しかけてきた。

「そうか、お母さんも頑張ってるんで安心したよ、ところで優美いくつになった」
「25歳よ、まだ若いし、でも来年はぎり若いって言われるかも」
娘、優美のはじけるような話に父は微笑んでいた。
「優美と別れたのが5歳の時、あれから30年も立ったんだなあ」

優美は、ステーキをフォークでさいの目に切りながら父の顔を見つめながら哀調味を帯びながら、
「ねえ、お父さん、ママも歳取ってきて仕事が忙しい時には家にもって帰ってイラストパソコンで打ち込んでるんだけど・・さびしそうなの」
「優美、お父さんどうしてるんだろうね」
寂しさを湛えるようにため息をついている母の姿を伝えてきた。

富田は自分と同じように歳を経た妻の顔を思い浮かべていた。
優美は
「ねえ、お父さん、ママも時々パパはどうしてるのかしらねえ」
と私に聞くの。
「ママも戻りたいようなこと言ってるから私、二人の仲裁役になってあげようか」
「えっ、優美が」
「ところでお父さんはどうなの」
「お父さんか」
思わずため息が出そうになった。

富田は妻が優美と一緒に家を出てから10年間辛抱強く待ったのだった。
しかし、親戚の片岡が
「いつまでも一人では、奥さんも考えてるかも知れないけど5年待ち続けたんだろう」
「ええ、それはそうですが」
「あんたも40歳、課長になって何かと一人じゃ、これから会社の仕事も」
そう薦められて10歳違いの子供二人を連れた農水省に勤務している女性とお見合いをして半年後に再婚したのだった。
そんな一部始終をよりをママと戻そうといっている優美に話せるはずもなかった。
ことばが詰まってしまった。

優美がせっかく30年前別れた妻とよりを戻してもう一度再婚して、自分が仲裁役になるといった気持ちを踏みにじってはいけない、少なくとも今夜本当の話をするべきではないと思っていた。
父は、話を変えなければと思って
「優美、幼稚園でお遊戯やってたときのことを覚えているか」
「私、覚えているよ、目の前でビデオ撮ってくれたことも」
「覚えていてくれているか」
「ええ、ママが時々これがあなたのお父さんといってビデオ見せてくれるの」

翌日、二人のハケンは9時前には出勤していて、富田優美も名古屋静子も始業前の体操をしていた。
昨日は親子として話した父と子が今日は上司と部下の間柄である。

優美は体操が終わると給湯室に行って経営管理部の皆のお茶を一つ一つトレーから机においていたが
「富田部長おはようございます」
丁寧にお辞儀をしてお茶を机に置いて自分の席に座った。
富田は自分の娘がすぐ側の机にいてすごい速さでデータをパソコンに打ち込んでいる。
二人のハケン社員に富田は公平に仕事の割り振りをするように主任の喬木を呼んで依頼した。

公正に二人を見なければと思いつつ冨田は、時折優美、自分の娘を呼んでいた。
「すまないけど、午後の会議資料字句を訂正してコピー30部してくれないか」
「かしこまりました、部長」
父と子はビジネスライクに仕事をこなしていた。

あわただしい中でお昼休みになった。
優美はつくえから振り返り父を見た。
「富田さん、昼休みぐらいゆっくりしなさい」
そういって忙しそうに部屋から消えていった。

後ろでケータイが震動音を鳴らしている。
優美は振り返った。部長の机ににケータイが残されていた。
「電話だ、っていっても誰も居ないか、父のケータイを見るのは」
親子といっても昨日30年ぶりに会ったばかりだ、でも父に掛かった電話なら
そう思って急いで部長席にあるケータイを取り上げた
「はい、こちらは新世紀商事経営管理部ですが、どちらさまでしょうか」
「いつも主人がお世話になっています、居りますでしょうか」
優美は、なに主人、お父さんすでに再婚してるんだ
頭に血が上ってあまりにも突然でふらつきそうになった。
「富田は、た、ただいま席をはずしています」
やっとこれだけしか言えなかった。
ケータイのスイッチを切り、メモに
「富田部長、奥様から電話がありました」
乱れた震えた字で書いた後、
「嘘、嘘、こんなばかな」
涙が出てきて、部屋を出てからただ夢中で走ってエレベーターに乗り1階、ロビーに出た、昼休みとあって隅に置いてあるソファには社員が座って楽しそうに歓談している。
今にも泣きそうな顔を唇をかんで我慢して外に出た。
私は昨日、一生懸命になってお父さんとお母さんの仲裁役をやろうといったのに、
走って走って走りぬいて二重橋の見える広場にいつの間にか来ていた。
私はなんなのよ、30年掛かってやっとハケンで運命の再会を遂げたのに、私はお父さんにとってはもし子供がいたら先妻の子なの
悲しくて切なくて優美は広場の砂利道に足を投げ出して座って泣き続けた。、
「お父さんのバカ」
私はなんなのよ、30年掛かってやっとハケンで運命の再会を遂げたのに、私はお父さんにとってはもし子供がいたら先妻の子なの
悲しくて切なくてこらえていた涙がこみ上げ優美は広場に座って泣き続けた。、
「お父さんのバカ」
優美はこんな悲しいことってあるの、お母さんがお父さんのこといつも噂してるのに、私は目に見えないお父さんのことをずっと考えてきたのに、幻だった父がやっとハケン社員で目の前に居る。長い間望んでいたことが、やっとお父さんと一緒に、しかも部長で会社でも期待されている、お父さんも一人で大変だったろう、ほめてあげたいよ、だけど再婚してしまってお父さんには新しい家族が育ってる、これって悲劇だよ、ドラマみたい、ドラマは一時のものだけど、私はこれからずっと
優美の胸はそんなことを考え続けて飛び散りそうだった。
ひとしきり泣いていたが優美は次第に冷静さを取り戻そうとしていた。

結果を恨んでも始まらない、ここでいつまでもいても
私は新世紀商事のハケン社員だ、時給いくらでもらっている以上、会社に戻ってお仕事をしよう。
お父さんが直属の部長なんて、悲しいけれど今は仕事を第一に、優美は責任感が強かった。
再び立ち上がって馬場先門の信号を渡ってビルが流れるように走った。
新世紀商事のビルのドアを押すと1時前5分だった。
優美は、誰にもわからないようにうつむいて自分お机の引き出しを開けてポーチを取り出して8階洗面所で泣いたあとがわからないように顔を洗いちょっと濃い目に化粧をしなおして席に戻った。

一方、部長の富田も図らずも派遣社員として自分の娘
優美に出会ったことで大きなショックを受けていた。
自分が上司ででその下で優美が働いている、本当は喜ばなければならないのだが、冨田には再婚した妻子連れの妻がいた。
優美から30年前に離婚した妻がお互いが歳を重ねて出来たら戻りたいと言っていることを優美から伝えられて富田は今の妻と別れて・・・・・・
そんなことまで突き詰めて考えた。10年間妻を待ち続けて電話、手紙を書き続けたが

「あなたとの関係はもう終わりました、お互いに新しい道を歩みましょう、身体に気をつけてください」
という返事だけだった。
優美はと見ると活発に仕事を続けていた。
「部長、これに印をお願いしたいんですけど」
富田は昼休みに優美が泣いたこともわからなかったし
少し集めの化粧で隠されていた。
「富田君、いやに張り切ってるね」
「はい、お時給いただいているので」
そんなさりげない会話のあと優美は戻って伝票をパソコンに叩き込んでいた。

一日は早かった。二日目もこうして陽がくれようとして通りに面した窓からは茜色に代わって行く空がきれいだった。
富田は優美が3ヶ月間ハケン社員としてうちの会社で仕事をしてくれる。
うれしくもあり、日日がたつと娘と段々別れにくくなる。家には再婚した妻も子供も待っている。
気持ちは複雑だった。優美はパソコンで仕事をせっせと片付けながらも時々父、富田の顔をちらっと見ていた。
優美も気持ちが複雑だった。父と歳とってどうやら復縁を望んでる母と一緒に出来れば過ごしたかった。
でも、それは無理だった、あたしが父に今の奥さんと別れてと頼むことも考えた。でも再婚してもう月日が立っている。考えて考えて結論を出しあぐねていた。

優美は長いこと20年も母の手で育ててもらったのだ
お父さんとも3人で過ごしたいが、やはりどちらかを選択するならお母さんだよ。
心の中で葛藤しながら答えを出そうとしていた。

気がつくと時計は6時を過ぎて社員も帰り支度を始めていた。
「部長、パソコンで稟議書直しました」
そういって部長の前の机に4部コピーを置いた。
「富田さん、ご苦労様、」
「部長、今日は早く帰らせてください、昨日遅かったのできっと母が一人で待っていると思いますので」
「ああ、いいから早く帰りなさい、それにしても君は仕事が速いね、驚いたよ」
「部長、私恥ずかしくて照れちゃいますよ」
うわべではにこやかに微笑んで話す親子だが心境はとても複雑だった。
誰にも悟られないよう部長と単なる部下、一派遣社員と皆思っている。
優美はそういって冨田に丁寧に頭を下げて室を出て行ったがずっと考え続けていた。
私、お父さんもお母さんも愛している。本当はお母さんも望んでいる3人で過ごしたい、だけど、お父さんはとっくに再婚して子供もいたら、お父さんはそれなりに幸せな生活、私がお父さん別れてお母さんと一緒になんていえないよ、
歩きながら同じ考えが巡り巡っている。
でも、お母さんを一人に出来ない、だって私が大きくなるまで苦労して育ててくれたんだもの、でも辛いなあ、結論出すのは、歩きながら考え続けていた。
「お父さんとはお別れか、せっかくハケン社員でお父さんと一緒にお仕事できるはずが

優美は千代田区の神田駅から歩き住宅の立て込んでいる空き地に建っている小さなマンションに戻った。
「優美、お帰り」
「うん、昨日は遅かったので」
母子二人はやっと小さな幸せをこの2DKの室で手に入れたのだ。
「優美、お父さんは今頃どこにいるだろうかねえ」
母の方から切り出してきた。
優美は、来た、来た、そう思いながらハケン社員で
ハケン先の会社で上司の父に会ったとは口が裂けてもいえない。

そう、言えば母は
「で、それは本当、お父さんは元気だったの」とその先の話を聞いてくるに決まっている。
「あのね、思うんだけどお父さんもきっとたくましく生きていると思うよ、お母さんがたくましいように」
「そうだねえ、お母さんも悪いところがあったかも知れないし」
「あえなくてもどこかで生きている、別々でも心はつながってる、私、そう思っている」
優美は吐き出しそうな感情を抑えて母に話した。

翌日、富田は新世紀商事(株)の経営管理部に早めに着いていた。上司たるもの自ら率先してとの信念だった。
「おはようございます」
「おはよう」
次々に富田にお辞儀をしては部員が席に着いた。
ハケンの名古屋静子もやってきて経営管理部は全員が出揃っている。
「おや、富田優美さんはまだ」
「きっと電車が遅れてるとか、来ますよ」
主任の柳内が振り返って言った。
富田のポケットのケータイが震動してびりびりと心臓に伝わった。

富田は急いでケータイのカーソルを動かした。
メールだった。
富田はあせっていた。
「お父さん、ごめんなさい、いろいろ考えましたが昨日で会社を辞めることにします。ハケンで続けるとますますお父さんと離れなくなって、お母さんとこれからも一緒に、本当に楽しい二日間でした。ありがとう
優美」
ケータイの文字が次第ににじんでいた。
富田は娘からのメールを読んで、優美が悩んで、悩んでその結論がこうなのだ、娘の心情を考えるとやりきれない気持ちが湧き上がってきた。
ごめん、優美、お父さんも、お母さんも勝手で離婚して、優美はどんなに苦しんだろうな、
デスクの上にある書類を読み印を押しながら考え続けていた。

「部長、印、さかさまです」
書類を食品一部に持っていこうとしている主任の柳内から言われるまで気がつかなかった。
昼休みの時計が12時を指すと、皆三々五々と連れ立って室を出て行く。中には椅子から立ち上がって背伸びしたり、あくびをしたりしていて緊張感から開放されている。
「部長、宅急便です、これに印を」
中村慶子が角丸百貨店の包みをデスクの上に置いた。
「ありがとう」
「なんなんだろう」
あけるとピンクのネクタイが出てきた。
「お父さん、ネクタイちょっと地味みたい、まだ若いんだからたまにはピンクのネクタイしてね、パパの大切な優美」
読みながら、優美はなんて優しいこの育ったんだろうとまたジーンとこみ上げてきた。
昼休みの誰も居ない更衣室のロッカーに行き、ピンクのネクタイにしめなおした。

一時間の休みはあっという間に過ぎて昼食、散歩から帰ってきた部員が息を引き返したように、さあ仕事、仕事といいながらまた、元へ戻った。
「お茶どうぞ」
主任の柳内がネクタイの変化に気がついて
「部長、ピンク似合いますよ、なにかあったんですか」
「いや、別に」
富田はピンクのネクタイをつけて決済書類に印を押し続けていた。


中央区は面積約10、1k㎡で商業集積度が高く伝統ある銀座・日本橋がある。人口は9万8千人で昼間人口は63万人と千代田区同様昼夜間人口比率が高い減り続けていたが近年、月島・佃島・晴海地区に超高層マンションの建設の結果、増加に転じた。

昭和23年、東京は戦争の爆撃で壊滅的打撃を受けていたが、敗戦によって人々は明日の食べるものも心配する生活だったが街の表情は明るかった。

古田真一は簡易服を着た妻のひとみと国鉄電車を有楽町で降りて銀座に向かっていた。
街には駐留軍のカーキ色の制服姿が目立った。
日劇のわずかな広場ではNHKが街頭討論を行っていて周りには取り囲むように国民服、簡易服、白いブラウスの人たちが群がっていた。
NHK街頭討論と看板があってアナウンサーが、群集を割って入り「あなたはどうやって食べていますか」を聞いていた。

ひとみは、
「あなた、どうやって食べていますかだってよ、出てみたらどう」
「僕は出る気しないよ、だってわれわれ今、おかゆすら食べられないんだから」
「ジャガイモにかぼちゃ煮て、それをおかゆ、じゃないか、米粒がついているだけで」
真一の言うように東京の食料事情はひどかった。

日劇の白い特徴のある建物は焼失を免れたものの有楽町のガードから銀座、築地のはるかかなたまでまで見通す事ができた。
爆撃で焼失は免れても壁が黒く汚れていてある建物は鉄筋がむき出しになっていた。
かろうじて電柱に取り付けられた街頭放送のスピーカーが並木節子の「りんごの歌」赤いりんごにくちびるよせて♪を歌っている。
ひとみが「りんごの歌」明るくていいわね
真一が
「ああ、せめて歌でも明るくなくちゃね、この澄んだ
空と一緒に」
二人は街頭録音を見送って黒くよどんでいる川に掛かっている数寄屋橋を渡った。
数寄屋橋の川に首都高速道路がかけられ川が埋め立てられたのは20年以上を経た東京オリンピックの時である。

有楽町から銀座4丁目を経て築地に向かう路面電車は
長い戦争で疲れきって意欲を失った人たちであふれていた。
どこを見ても明るい希望を見出すことは出来なかったが、ただ戦争中の米空軍B29から追い回される爆撃もなく、言論統制もなくなって自由に意見を言えることが救いだった。

いつしか銀座四丁目に差し掛かった。交差点では連合軍のMP(軍隊の警察)がボックスの上に立って両手を動かして交通整理を行っていた。
信号もなく手さばき一つで交差点の人と自動車を立派に制御する。
車は戦前のトヨタ、日産のダットサンがよたよたと走る中でアメリカ製の大きな車が、日本人には無縁な存在、バスは時折駐留軍のトラック前方車と大きな長い車体が走って行く。
京橋に向かう右側松屋百貨店もPXとして接収されて銀座四丁目に立つと勝者と敗者の論理が明らかだ。
その向い側はPX(駐留軍専用ショッピング・センターで今の服部ビルが接収されていてショーウインドーも華やかでここは日本人立ち入り禁止なのだが入ってくる人、出てくる人の格好が華やかだった。

真一とひとみはしばらく交通整理の手さばきを眺めていた。
「ねえ、三越行って見ましょうよ」
「そうするか」
華やかな角のPXに比べて三越はいかにも敗戦を象徴するかのように建物全体が薄汚れていて、疲れきった人たちが何かを求めて出入りしている。
暗い店内で木製のカタカタ音を立てるエスカレーターのベルトに捉まりながら真一は
「なにか欲しいものがある」と後ろのひとみに効いたが妻は首を振って
「ううん」
とかわした。
二人は店内を廻ったが敗戦から3年立っても物不足は深刻だった。
「もう、帰りましょう、子供たちにかるめ焼きでも」
と子供を気遣っている。
「そりゃ、欲しいものないといったら嘘、私だって
さっきのPXのあんなショーウインドーのワンピース着たいわ」
「苦労かけるな」
真一はそういって妻がたけのこ生活で家事をやりくりしていることに感謝していた。
たけのこ生活とは当時の流行語でたけのこをはぐように衣類とか家庭に合うものを売る、物々交換で食料品に変えていた。

二人とも家でお腹をすかしている郁子・道彦の幼い子供のことを考えていた。
なにもない、帰れば爆撃のあとのやけこげた木ととたんを組み合わせて急場ごしらえで雨、露をしのぐ家だったがそれでも親子四人は支えあって生きていた。

国鉄電車は相変わらず混んでいた。つり革は竹製、座席は柔らかなみどりのモケット張りの電車も登場し始めたものの、何者かがかみそりで切ってもって行った後が痛々しかった。
30分かけて亀有を降りて焦土の中のバラック小屋に帰った。
ひとみが
「二人ともお留守番していて、ありがとう」
上の子の郁子が
「ねえ、お父さんお母さんとランデブーどうだった」
と冷やかすように聞いた。
当時はまだデートということばは使われなかった。
バラック小屋の中には唯一贅沢な真空管使用の四級式ラジオがあった。
スイッチをひねると
「皆様、今日の配給便りをお伝えします」
続いて「目黒区の一班、二班はすけそう鱈、練馬区の一斑から四班まで砂糖、杉並区の・・同じくすけそう鱈・・・・・」
と放送していた。
ひとみが放出食料もいいけど、砂糖ではね、お米か小麦粉がほしいわね」
と愚痴った。
当時は敗戦の痛手による戦災孤児が上野・東京駅などで家、両親を失って栄養失調で終戦の年はこうした孤児を中心に餓死者百万とも二百万とも言われていた。
この深刻な状況にアメリカ駐留軍も急遽小麦など食料品を日本人に放出した。

いくらか改善されたもののまだ食品は配給制だったのである。
ひとみは
「ごめんね、何もあげられなくて、お砂糖があるからかるめ焼きを作ってあげるからね」
たった一つの焼け跡から拾ってきた食器棚の砂糖を取り出して、おしゃもじに砂糖を溶かして重曹を入れて
かき混ぜる。外に出てコンロにまきをくべて砂糖が膨らんできて
それをコンロから遠ざけるとざらざらしたお菓子が出来上がる。

久しぶりに小麦粉が配給になって妻は古着の着物を松戸に行き売ってこれをお芋とお米に変えたのであった
ひとみは
お米を外の共同の水道で研いでお芋を入れておかゆを作った。
おかゆができた時はもう日もすっかり暮れて夜空に無数の星がまたたき地上はとたん屋根の家の明かりが転々と漏れていた。

「おいしいよ、お母さん」
「よかったね」
食べ盛りの二人の子供にお茶碗にいっぱい盛りながら
「おかわりしていいのだよ」
ひとみは子供の頭を優しくなでた。
妻と夫は、子供たちにお腹が空かないよう気を使いお釜の底のおこげを拾って食べた。
時が過ぎて夫と妻は子供を真ん中に置いて一枚の毛布で仲良く寄り添って寝たのだった。
夜空の星は美しく地上を飾っていた。
四人は明日への希望を星に託しつつ・


親子二代目


それから20年、昭和27年北朝鮮軍が突如38度線を越えて韓国に侵入し、いわゆる朝鮮戦争が起きた。
韓国軍は不利で北朝鮮は韓国の南はるかまで迫ったが連合軍が仁川に上陸して反戦優位に転じて、日本はこれを転機に景気が回復、いわゆる特需が起きたのだった。

二人の子はすっかり成長して姉29歳、弟27歳になっている。
東京オリンピックを迎えようとしていた。
郁子、道彦は母と父が歩いた数寄屋橋を同じように歩いている。
オリンピックの誘致が決まり開催は目前に迫っていた
数寄屋橋の川はとうに埋め立てられて首都高速道路一号線が建設されていた。
交差点では、電柱の有線放送が坂本九の「明日があるさ」美空ひばりの「柔」♪勝つと思えば、思えば負けよ♪を盛んに放送していた。
郁子は流行のパラシュートスカートをまとい、道彦は
VANの黒いセーターを着てデートを楽しんでいた。
いや、デートというより28歳になった姉、郁子が結婚が決まって、姉が最後に弟を連れてデートしたかった
「姉貴、ちょっとそのパラシュート目だって恥ずかしいよ」
「えっ、せっかく道彦と恋人気取りで歩いてあげようと思っているのに」

「だってなんか、今流行のみゆき族みたいだよ」
「お姉ちゃんね、結婚の前に道彦連れてこういうかっこ一度でいいからしてみたかったの」
みゆき族はオリンピックを前にロングスカートの後ろに共布のリボンを結びつけて頭に布を巻く、男性はVANのスタイルをくずす銀座のみゆき通り、並木通りに若者が出現していたので道彦は派手で恥ずかしいと思った。







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